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山口県のナンバープレートの歴史




道路運送車両法公布まで


明治31年

【日本における自動車の登場】
日本に自動車が登場したのは、明治31(1898)年、フランス人が自国の自動車を持参して来日した。また、明治32年10月、皇太子殿下(大正天皇)ご成婚のお祝いとして、サンフランシスコ在留の邦人が米国製電気自動車を献上したのが最初など諸説がある。

明治36年10月

山口県内において自動車が実用化の時代に入ったのは、明治末期である。明治36年10月5日、三田尻停車場(現防府市)〜山口間の乗合自動車営業が三田尻警察署に申請されたのが最初といわれ、ついで山口〜小郡間の営業が申請されたが、いずれも実施にはいたらなかった。(山口県警察史)

明治37年1月

新しい交通機関の登場によって、明治37年1月19日に「自動車営業取締規則」(県令第3号)が制定された。
当時は現在のような自家用自動車時代と異なりほとんど営業車であったので、営業面からの規制が主であった。「自動車営業取締規則」

第21条第7項(車輌外部両側ニ検査証ノ番号ヲ標記スルコト)

とあり、これが山口県における自動車の番号標に係る最初の記述と思われる。

【山口県令第3号】


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